PROBLEM:
台風7号と8号の「ダブル台風」の影響が懸念されるなか、海面水温の上昇を背景に台風が日本近海で勢力を強め、都市部では短時間強雨による中小河川の急な増水や内水氾濫が、避難情報や住民の避難行動より先に進む「避難の遅れ」が深刻になっている。
SOLUTION:
AIで都市部のフラッシュ洪水(急激な浸水)を最大24時間前に予測する技術が実用段階に入った。米Googleの無料サービス「Flood Hub」はその一例で、2026年には都市型フラッシュ洪水の予測機能も追加した。世界各国の政府機関や研究機関でも、同様の取り組みが進んでいる。
避難指示が、水に追い抜かれる
台風8号「ヒーゴス」は6月23日に発生し、先に発生した台風7号とともに「ダブル台風」として日本列島に接近している。海面水温の上昇を背景に、台風は日本近海で勢力を維持・発達しやすくなっていると指摘されており、短時間に都市へ大量の雨をもたらすことがある。問題は、その雨がもたらす浸水の速さだ。都市部では、短時間の豪雨によって道路や地下空間などが急速に浸水する「フラッシュ洪水(都市型の突発的な浸水)」が、避難指示の発令や住民の避難行動より先に起きてしまうことがある。避難が水に追い抜かれる——。この時間差が、近年の水害で繰り返し問題になってきた。
被害の規模は、世界共通の課題だ。世界気象機関(WMO)によると、フラッシュ洪水は世界の洪水事例のおよそ85%を占め、洪水の中でも死亡率が最も高い。豪雨などからわずか6時間以内に発生することが多く、世界で年に5,000人を超える命を奪っている。フラッシュ洪水は、最も危険な自然災害のひとつでありながら、発生の速さゆえに警報が間に合いにくい。逆に言えば、わずかでも早く知らせることができれば被害は大きく減らせる。Google Researchは既存研究の知見として、12時間の猶予があれば、フラッシュ洪水を含む洪水による損害を約6割減らせると紹介している。早く知らせること自体に、人命を救う価値がある。
日本も例外ではない。気象庁の観測では、1日に100ミリ以上・200ミリ以上の大雨が降る日数はいずれも増加傾向にある。近年は「線状降水帯」による豪雨災害が相次ぎ、同じ場所に数時間にわたって猛烈な雨を降らせる。2024年8月の台風10号のように、進路や発達の予測そのものが難しいケースもあり、従来の知見だけでは対応が難しい極端な雨が増えている。だからこそ、降る雨を「どこが・いつ危ないか」という避難の判断へと翻訳する技術への期待が高まっている。
ニュース記事を「センサー」に変える発想
この時間差を埋める一手として、米Google(グーグル)は2026年3月、洪水情報サービス「Flood Hub(フラッドハブ)」にAIによる都市フラッシュ洪水予測を追加した。Flood Hubは、150カ国以上で河川洪水を最大7日前まで予測する無料サービスで、Google検索やGoogleマップ、Android端末への通知を通じて情報を提供している。今回追加された都市フラッシュ洪水予測では、都市の突発的な浸水リスクを最大24時間前まで示せるようになった。

技術的な壁は「データの不足」だった。河川の氾濫は、川に設置した水位計が長年にわたって水位や流量を記録してきたため、AIが学習できる過去データがある。ところが都市のフラッシュ洪水は、川から離れた場所でも突発的に起き、いつどこで発生したかの記録がそもそも乏しい。学習させるデータがなければ、AIはパターンを覚えられない。
Googleが取った解決策は、ニュース記事を「水位計の代わり」に使うというものだった。同社は生成AIを使い、過去20年分・約500万本の世界の報道記事から洪水の発生場所と時刻を読み取り、150カ国以上・260万件超の洪水発生記録からなるデータセットを構築した。このデータセットを、気象予報や地形、土壌の吸水性、都市化の度合いといったデータと組み合わせて学習させたモデルが、「この地域で今後24時間以内にフラッシュ洪水が起きる可能性」を判定する。報道データが豊富な都市部から対象にしたのはこのためで、現在は人口密度が1平方キロあたり100人を超える都市が中心だ。
このアプローチには、利点と限界の両面がある。地上に観測機器が乏しい途上国の都市でも、報道さえあれば予測できる点は大きい。一方で、空間解像度は20キロ四方とまだ粗く、洪水がどれほど深刻になるかまでは示せない。報道の少ない地方や農村では精度が落ちる。Google自身、これはベータ版であり、公式の警報を置き換えるものではなく、各国の気象当局や自治体の早期警報を「補強する」道具だと位置づけている。
競うのはGoogleだけではない
AIで洪水や浸水を予測する動きは、いまや一社のものではない。世界各地で、行政と研究機関、企業がそれぞれの方式で開発を競っている。
台湾は2024年、AIを活用した洪水管理システムの構築に約94百万ドル(約30億台湾ドル)を投じることを閣議決定し、洪水リスクを最大6時間前に検知する仕組みづくりを進めている。米国では、海洋大気庁(NOAA)が気象・洪水予測へのAI活用を進める一方、テキサス大学オースティン校では道路や橋梁など地点レベルの洪水影響予測の高度化に取り組んでいる。中国の研究機関も、2週間先までの気象予測で高い精度を示すAIモデルを発表しており、洪水予測への応用も期待されている。インドのように洪水被害の大きい国々でも、AIを活用した洪水予測の研究や実証が進んでいる。
ただし、専門家の見方はおおむね一致している。AIは万能ではなく、あくまで現場の予報官を補強する存在だという点だ。NOAAの研究者は、AIモデルは過去に見たパターンを再現しようとするもので、物理法則から計算する従来モデルと違い、未知の事態の「全体像をつなぐ」のは苦手だと指摘する。雨の予報を出す従来の気象モデルと、それを浸水被害の可能性に翻訳するAI ー 両者は役割が異なり、組み合わせてこそ力を発揮する。Flood Hubの開発者も、目的は各国の気象機関や自治体による既存の早期警報システムを補強することだとしている。
日本にとっての意味と、残る課題
では、こうした技術は防災インフラの整った日本でどれだけ役立つのか。日本はすでに、国が管理する全国109水系すべてで指定河川洪水予報を実施し、危険度を色分けで示す「洪水キキクル」も運用している。河川の水位を実際に測る「危機管理型水位計」は、令和7年時点で全国に約9,300台が設置されている。世界的に見れば、予報と実測の両面で先行する国だ。
それでも、補える余地はある。鍵は「予測」と「実測」の役割分担にある。水位計が測れるのは、すでに水位が上がり始めた川の「いま」だ。これに対しAIによる予測は、雨が降る前の段階で「これから危ない場所」を示せる。日本に張り巡らされた実測網に、予測の層を重ねれば、避難の判断をさらに前倒しできる可能性がある。とりわけ、川から離れた市街地で突発的に起きる都市型の浸水は、河川中心の従来の枠組みが捉えにくい領域でもある。
課題も率直に見ておく必要がある。前述の通り、AI予測はまだ精度や解像度に限界があり、人口の少ない地方では特に弱い。皮肉なことに、土砂災害で孤立しやすい山間の集落のような「最も早い警報が要る場所」ほど、報道データに依存するAIが不得手とする領域に重なる。日本のように予報インフラが発達した国では、上乗せの効果は限定的かもしれない。
それでも、世界の潮流ははっきりしている。気候変動で極端な豪雨が増えるなか、降る雨を被害の予測へ、予測を一人ひとりの避難へとつなぐ「最後の数時間」を、AIとデータでどう埋めるか。Google一社の取り組みというより、人命に直結するこの時間差をめぐる、世界規模の競争と協調が始まっている。
トップ写真:Google Research / Flood Hub 提供
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