陸上で魚を育てる: 福島発、環境に優しい新しい「ベニザケ」養殖

乱獲、食糧不足、汚染に対する新たな解決策を提供する、世界初の試み

9月 22, 2023
By Sage Farrer
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水産物の安定供給を可能にするための陸上養殖

J-STORIES ー 海水を使用せずに完全に内陸で魚を育てる新しいタイプの養殖が、乱獲、海洋汚染、食糧不足に対する新たな解決策になるかもしれない。養殖に不向きとされているベニザケの養殖事業化を目指す世界初の試みが、福島県で始まっている。
乱獲と人口増加により、商業漁業に利用できる天然魚の量は急速に減少している。国連食糧農業機関(FAO)が2022年に発表した「世界の漁業と養殖業の現状に関する報告書」によると、世界の水産資源のうち3割以上(35.4%)が乱獲されており、約6割はかろうじて資源が維持されるギリギリのレベルまで捕獲されている。漁獲枠に余裕がある資源は、わずか7.2%しか残っておらず、魚貝類の消費文化が古くから根付いている日本にとって特に差し迫った問題だ。
こうした中、安定した水産物供給を実現するひとつの手段として、NTT東日本岡山理科大学などの共同研究チームが取り組んでいるのが立地の制約を受けずにどこでも安定した生産が可能な「完全閉鎖循環式陸上養殖」と呼ばれるものだ。
「完全閉鎖循環式陸上養殖」プラントで育てられるベニザケ     NTT東日本 提供
「完全閉鎖循環式陸上養殖」プラントで育てられるベニザケ     NTT東日本 提供
魚の養殖にはさまざまな方法がある。よく知られているのは、海上での養殖と、海水や地下水を陸上のタンクに汲み上げる「掛け流し方式」の陸上養殖だが、そうした従来の養殖方法は環境面に置いて大きな問題があった。「海面型の養殖にしても、掛け流しの養殖にしても、自然資源にある水を使って汚れてしまったらそのまま自然環境に捨てるので、環境負荷が大きいのです。それが完全閉鎖型の場合は同じ水をずっとろ過して綺麗な状態に保ったまま使い続けることができるので、環境に優しいのが一つの大きな特徴です」とJ-STORIESの取材に対して、NTT東日本の担当課長、越智鉄美氏は説明する。

人工海水を使用し、内陸部で建設可能

「完全閉鎖循環式陸上養殖」システムのメリットは環境面だけではない。海水の常時供給に依存しないため、沿岸部に限らず養殖施設を建設できる。内陸部のどこでも、水道があれば建設可能だ。
「水をずっと使い続けることができるので、極端な話、砂漠のど真ん中であっても海の魚を作ることができますし、農家さんが農作物を作っていない時期に魚を作ということもできます。そういった、立地を選ばないことも大きな特徴です。」(越智氏)
市場に出回ってる大半を占めるトラウトサーモンなどと違い、ベニザケは、水温の変化、ストレス、病気に弱いなどの理由で養殖に不向きで、世界でも養殖に成功した例はなかった。
しかし、今回の実証実験では、プラント内の温度を厳密に調節することで、寄生虫や病気にさらされる可能性を大幅に減らすことを可能にしただけではなく、養殖のもう一つのハードルとなっていた成長の遅さの問題も解決し、世界初となる商業レベルの養殖を実現させた。
それを可能にしたのが、岡山理科大学の山本俊政准教授が開発した人工海水「好適環境水」である。好適環境水はナトリウム・カリウム・カルシウムという魚の成長に必要な3種類の電解質を真水に加えたもので、塩分濃度は海水と比べて非常に低い。その結果、海水における自然な生育よりも早く成長させることが可能となり、昨年1月から始まった実証実験では、天然ベニザケの発育期間を通常必要とされる4年から1年半まで短縮させることに成功した。
 「魚のエネルギーのほとんどは、塩分濃度の調整に使われているので、塩分濃度を3分の1にする『好適環境水』を使うことで、その分のエネルギーを成長に回すことができます。
 「まだ実験レベルですが、ベニザケだと海水環境下に比べて成長速度は約2倍で、養殖期間を半分にできるので、ランニングコストも半分になります。」(越智氏)
今回の実証試験で、ベニザケの体長はおよそ50cm、体重は1.2キロまで成長した。     NTT東日本 提供
今回の実証試験で、ベニザケの体長はおよそ50cm、体重は1.2キロまで成長した。     NTT東日本 提供
「完全閉鎖循環式陸上養殖」システムで養殖された紅鮭は、今年7月に福島市のスーパーマーケットにおいて3日間の試験販売が行われ、一般消費者向けに生食用の大きな切り身や寿司、フィッシュサンドまで様々な形で販売された。販売を通じて、生産段階のみの評価では終わらせず、ビジネス化に向けた水揚げ後の加工・流通・販売における評価も行う狙いだ。
「(過去の調査だと)アミノ酸(旨味成分)が天然物よりも高い数値が得られていました。我々も今回初めて自分たちで作ってみて、出荷のタイミングで食べたんですね。ほとんどの人が、記者の方も含めて、非常に美味しいって言っていただきました。」(越智氏)
福島市内のスーパーで試験販売されたベニザケ(生食用切り身)     NTT東日本 提供
福島市内のスーパーで試験販売されたベニザケ(生食用切り身)     NTT東日本 提供
福島市内のスーパーで試験販売されたベニザケ(フィッシュバーガーとして加工)     NTT東日本 提供
福島市内のスーパーで試験販売されたベニザケ(フィッシュバーガーとして加工)     NTT東日本 提供

雇用の創出、地域の活性化

今回の画期的なプロジェクトには、環境の持続可能性や生産効率だけではなく、新しい産業を創出し、地域を活性化させることも期待されている。養殖は海のない福島市で行われており、地元のスタッフを雇用している。
養殖事業は自然の漁業とは異なり、季節の制約を受けず、年間を通して安定して労働者を雇用することが可能となる。福島の自治体との協力の下、廃校になった校舎を再利用して新しい養殖プラントを作るという話も浮上しているという。
「歴史的に、漁業は必ずしも安定した職業とは考えられておらず、今もその傾向は変わっていないと思います」と越智氏は言う。
「興業的に安定的な収入が得られる産業にしていくチャンスが目の前にあると思っているので、そこに従事していただく方々が夢を持てるような産業にしていきたい」(越智氏)  
NTT東日本、いちい、岡山理科大学の代表者。左から澁谷直樹社長、伊藤信弘社長、平野博之学長。      NTT東日本 提供
NTT東日本、いちい、岡山理科大学の代表者。左から澁谷直樹社長、伊藤信弘社長、平野博之学長。      NTT東日本 提供
福島の第一次産業は、2011年の東日本大震災とそれに続く津波や原発事故だけでなく、最近のインフレや円安などの影響を受け、厳しい状況下にある。
「今回ベニザケを選んだ理由は、希少性がすごく高くて誰もやってない魚だったからです。地域の特産品としてブランド化できる可能性が非常に高いので、地域の産業創出や、結果的に地域の雇用を生み出すことにもつながることを期待しています。」(越智氏)
この養殖プラントには自然災害対策が徹底されており、大きな地震や台風が発生しても、プラントが損傷することがないように配慮されて作られている、と越智氏は強調する。
一方で、当面の課題として挙げられるのは、価格競争力である。このプラントには建設費も運営費も大きなコストがかかっており、試験販売時でも養殖ベニザケの100グラム当たりの価格は日本の平均的なサーモンの2倍となる980円となっている。
またプラントは現在、遠距離で岡山理科大学の専門家が監視する必要があり、水質センサーから収集されたデータはクラウド経由で岡山に送られている。緊急時、迅速な対応が取れるのかについても大きな挑戦が残る。
「完全閉鎖循環式陸上養殖」施設の内部     NTT東日本 提供
「完全閉鎖循環式陸上養殖」施設の内部     NTT東日本 提供
こうした課題を克服し、安定的な商業化を実現するために、養殖の収穫量を増やすことが研究グループの今後の最大の目標のひとつだ。

魚の未来? 遺伝子編集技術で品種改良

こうした中、NTTは京都大学発のスタートアップ「リージョナルフィッシュ」と協力し、「NTTグリーン&フード」という新会社を設立した。目的は、成長時間の更なる短縮、消費可能な肉部分の増加などを目指した、遺伝子編集技術を用いた魚の品種改良についての研究である。
このプロジェクトに取り入れられている技術やイノベーションは、世界で増加しつつある再循環型の養殖システムと相まって、すでに漁業の現状に大きな変化をもたらしている。世界で消費される魚の半分以上が、もはや養殖によって生産されている。近い将来、魚が単なる工業製品のひとつとなり、遺伝子組み換えが施され、農作物や家禽類と同様に「最大限の収穫量を得る」ために養殖される時代がやってくるかもしれない。
7月21日から23日までの3日間、スーパーマーケットいちい(福島県)で試験販売される養殖ベニザケ。     NTT東日本 提供
7月21日から23日までの3日間、スーパーマーケットいちい(福島県)で試験販売される養殖ベニザケ。     NTT東日本 提供
「中国やインドネシアなど人口が増えている国は魚の需要も伸びているので、残された水産資源は基本的になくなっていく方向にしか行かないと思います。皆で共存し、次の世代に魚資源を残すことを考えれば、自分たちで食べる分は、自分たちで作っていくということを考えないといけない。その時に環境に負荷を与えてしまうと、継続できないので、環境に負荷を与えないような技術を作っていくことは重要だと思っています。」(越智氏)
記事:ファラーセイジ 編集:一色崇典
トップ写真:NTT東日本 提供
この記事に関するお問い合わせは、jstories@pacificbridge.jp にお寄せください。

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