【インタビュー・前編】音楽では満たせなかった空腹

日本屈指のヒットメーカーがスタジオを離れ、「食」の起業家に転身した理由とは?

13時間前
by Toshi Maeda
【インタビュー・前編】音楽では満たせなかった空腹
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JStories ー 作曲家兼音楽プロデューサーとして安室奈美恵などの大物アーティストのヒット曲を手がけてきた今井了介さんは2010年、すでに日本の音楽業界のトップにいた。彼の楽曲「Baby I Love you」は大ヒットを記録。「控えめに言って死ぬほど売れました」と彼は笑顔で振り返る。
しかし、わずか1年後、壊滅的な自然災害が彼の人生の軌道を完全に変えることになる。
2011年、東日本大震災が引き起こした悲惨な被害を目の当たりにし、「音楽ではお腹はいっぱいにならない」と悟った今井さんは、華やかなキャリアを離れ、起業家に転身すること決意。現在8万人の子どもたちに食事を提供するデジタルプラットフォーム「ごちめし」を立ち上げた。
ヒットメーカーから社会起業家への彼の旅路を辿るため、JStories は今井さんを都内でインタビューした。

音楽を無力に感じた瞬間

2011年の地震は、未曽有の揺れや津波をもたらしただけでなく、今井さんが自分のライフワークだと信じていた仕事に対する根本的な理解も覆した。
「われわれ音楽家もやはり被災地に行って、音楽で被災地の方々を元気づけたり、何かできるんじゃないかなと思っていたが、被害の状況がもうそれどころではないぐらい本当に甚大だった」と今井さんは当時を思い起こす。
現地では行方不明の家族を必死に探し、食べ物を探し求め、津波で家も車も流された多くの生存者たちを目撃した。彼らが切実に必要としていたものは、何よりも生きていくための基本的な必需品、つまり「衣食住 の確保」 だったのだ。
東京都内のJStoriesのオフィスでインタビューに応じる、今井了介さん  写真撮影: Desiderio Luna | JStories
東京都内のJStoriesのオフィスでインタビューに応じる、今井了介さん  写真撮影: Desiderio Luna | JStories
「音楽ではお腹がいっぱいにならない。行方不明になっている家族や親族を音楽が見つけてくれるわけでもない」。今井さんは「人が生きていくということに対して、エンタメというものの瞬間風速的な無力さみたいなものをすごく強く感じた」と当時を振り返る。
自らの心に生じた突然の変化について、今井さんは仙台出身であるスケートの羽生結弦選手を引き合いに出した。日本のスケート界に大きな責任を持つ羽生選手でさえ、震災の壊滅的な状況を目の当たりにした時、スケートを続けるべきか疑問を感じたという。今井さんにとっても、被災地での体験は衝撃的だっただけでなく、慣れ親しんだ音楽の世界では果たせない新しい使命感を呼び起こすきっかけとなった。
「その時に感じたのは、何か人が生きていくことにすごくコミットしたビジネス、特に食のカテゴリーで何か自分ができることがあるんじゃないか、ということだった。ボランティアではなくて、きちんと事業のプラットフォームとして作ってみたいな、と思うようになった」と今井さんは語る。

コーヒーとうどんからのインスピレーション

ごちめしの発想は、ナポリで特に実践されているイタリアの伝統「サスペンデッドコーヒー」から生まれた。誰かがコーヒーを買う時に、もう1杯分のコーヒー代を置いていく。その1杯は店に「預けられ」、温かさを求めるホームレスも含め困っている人々に提供される。
今井さんは、日本でも似たような習慣があることを知った。北海道帯広の「YUI (結)」というレストランだ。地元の労働者が地元の食材で作られたうどんやカレーを食べると、もう1杯分の代金を置いていく。店は外のホワイトボードに利用可能な食事を表示していた。「ゴチメシあります — うどん2杯、カレー1皿」。放課後のお腹を空かせた高校生たちがYUIの食事をほおばり、地元の味を経験しながら、若者を応援したい大人たちのサポートを受けていた。
神奈川県小田原市で「こどもごちめし」サービスを開始した際、子供達と一緒に食事をする今井さん  写真提供: Gigi (以下同様)
神奈川県小田原市で「こどもごちめし」サービスを開始した際、子供達と一緒に食事をする今井さん  写真提供: Gigi (以下同様)
「こういうことのDX(デジタル・トランスフォーメーション)をやりたかった」と今井さんは言う。大きな課題は、そのビジネスを浸透させ、拡大して行くためのスケーラビリティの戦略だった。
「東京にいる僕が帯広にあるYUIというお店を通じて地元の高校生たちを応援したいとか、若者たちに美味しいものや地元のものを食べて頑張れよって言いたくても、そう簡単なことではない。その400円のうどんをごちそうするためには、飛行機で札幌ぐらいまで往復して、現地でレンタカーを借りて帯広まで行くといったコストが大体4万円かかってしまう」
では、電子的に日本全国に食事を提供することはできないだろうか、と今井さんは考えた。「電子的な仕組みがあれば、人にごちそうするっていうプラットホームを通じて、いろんな社会課題解決につながっていくんじゃないのか」。そのひらめきが、多くの子供たちを笑顔にする新しいビジネスを誕生させるきっかけになった。

音楽業界のビジネスモデルを食の世界に応用

社会起業家として今井さんを際立たせているのは、音楽業界のプロフェッショナルとしての独自の視点だ。彼は、音楽には食の世界には無いもの、つまり知的財産を管理し価値を分配する堅牢なインフラストラクチャーがあることに気づいた。
「日本ではJASRAC、アメリカだとASCAP、韓国だとKOMCAというふうに、音楽の世界ではいわゆる著作権使用料を収集して分配する機能がすでにプラットフォームとして仕上がっている」と彼は説明する。
盗作されるリスクの回避やそのような時の法的な対処も含めて、著作権とIP(知的所有権)のあり方と使用料を分配する仕組みがセットで出来上がってる。そうした音楽界のインフラは、食のビジネスにも様々に役立つのではないか、と今井さんは考えた。
「そうした仕組みは、自分たちと飲食店とかをつなげるインフラにもなる。緊急に食を支援するとか、世の中の困っている人を助けたいと思ったときに、そうしたインフラやルールがあれば、きっと何かできるんではないかと感じた」
今井さんは自分のレストランを開くことには興味がなかった。「中華が好きだから、中華料理を始めますというような発想ではなく、システムそのものを作ること」が重要だと思ったからだ。そして、「それが単なるボランティアではなく、持続可能なビジネスとして機能することを確認すること」に力を注いだ。
帯広に行って YUI を経営する本間辰郎さんに会った。自分の企業の名称に、好きだった「ゴチメシ」という名前を使用させてもらいたいという頼み込むと同時に、本間氏に最初の株主になるよう依頼し、株式を提供した。
今井さんの想いを本間氏は支援してくれた。帯広の食堂 YUI はその後閉店したが、その精神は今井さんのデジタルビジネスでいまも生きている。

コロナ直前のローンチ — そしてすべてが変わった

今井さんが創業した「 Gigi」 は、2019年秋にごちめしアプリをローンチした。「1年かけて出来上がった我が子のようにかわいいアプリのローンチで、意気揚々とした1日だった」と今井さんは回想する。当初の事業計画には、ピアツーピアのギフトだけでなく、企業向けの食事福利厚生「びずめし」や子どもの食事支援も含まれていた。
東京都港区などの行政組織や支援団体との連携を積極的に進めてきた今井さん(左)
東京都港区などの行政組織や支援団体との連携を積極的に進めてきた今井さん(左)
しかし、立ち上げのわずか2カ月後、新型コロナウイルスが日本でまん延し始め、生まれたばかりのごちめし事業に襲いかかった。「みんなでお金を出し合って何千万円とかけて作った我が子のように可愛いサービスが、いきなり2ヶ月後に動かせなくなった。みんなが飲食店に行っちゃいけないという時代になってしまった」。あまりのショックに、創業メンバー全員が涙を流したという。

コロナでのピボット:「さきめし」の誕生

しかし、この危機を克服するうえで大きな武器になったのは、スタートアップならではの小回りが利く機敏な経営だった、と今井さんは語る。
彼は、「レストランが顧客が到着する前に支払いを受け取る」というごちめしのユニークな仕組みをコロナ対策として転用できることに気づいた。ごちめしのプラットフォームは原則として前払い用に設計されており、例えば友人の誕生日に食事ギフトを贈った場合、ギフトを発注した時点で店側にはクレジット払いの料金が着金している。
「コロナ禍でお店にお金がなく客も来ない状況の中で、こういった先払いができれば自分のひいきのお店を応援できるツールになるのではないか」
2020年3月、ごちめしのローンチからわずか数ヶ月後、今井さんらは当初の事業計画にはなかったサービス「さきめし(前払い食事)」を立ち上げた。ソーシャルメディアを通じて、支援者と困窮するレストラン間のマッチングが急速に広がった。大手飲料メーカーのサントリーがすぐにパートナーとなり、突然15,000の登録レストランができた。
「キャッシュレスサービスの営業マンなどがローラー式に営業をかける時、大体1店舗の開拓費用が1万から1万5000円ぐらいと言われてる」と今井さんは説明する。
「1万5000円の開拓費をかけて1万5000のレストランを登録するには、2億円近いコストがかかる。本来だったら、僕らは2億円かけて一生懸命、足繁く店舗を集めるべきプラットフォームが、いきなり出来上がってしまった」。今井さんにとって、さきめし事業の大きな反響は予想以上だった。

手数料無料モデルの正当性

当初から、今井さんはごちめしをレストランに手数料を請求しないビジネスとして設計した。この事業モデルに対して、銀行や投資家を一様に懐疑的だった。
「いわゆる銀行とか公庫とかに創業時の融資などを申し込んでも、店舗からお金を取らないビジネスなんてあり得ないし、前例がないと言われ、創業時融資すら断られた」と彼は回想する。しかし、コロナが到来し、「さきめし」がローンチされると、すべてがひっくり返った。「世の中お店から手数料を取らないなんて、何て素晴らしいサービスだ」と。
「本当に昨日までと今日でパタっと変わった」と今井さんは驚く。それは彼が音楽業界で繰り返し学んだ教訓でもあった。「ちょっとエッジの効いた曲とか書くと、『こんな曲は日本じゃ売れないよ、今井くん』なんて散々言われた。しかし、ある日、その曲が時代にハマったり売れ始めると、オセロの角(かど)を取って白と黒がパタパタパタと変わるように、時代が一変したようだった」

自分たちで考え行動を起こす力

音楽から社会起業家への旅路を振り返り、今井さんは外部からのアドバイスを受けるよりも自分の信念を重視することの大切さを強調する。
「外部の人はやはりどこまでも外側にいる人。それは外部の人間だから責任のない発言をしているという意味ではなくて、その人が話してくれる『一番プロの意見』というものがその人の人生と得意なジャンルに基づいているものなので、すべてに同じように耳を傾けるのは難しいと思うから。やはり自分たちはどうするのか、ということを考えなければならない時もある」
今井さんは、良いチームを築くことの重要に加え、「アクションを起こす」ことが「納得度の高い」人生を過ごすことの秘訣だと語る。
今井さん(右)をインタビューする、JStories の 前田利継 編集長  写真撮影: Desiderio Luna | JStories
今井さん(右)をインタビューする、JStories の 前田利継 編集長  写真撮影: Desiderio Luna | JStories
「せっかく自分がいいアイデアを思いついても、やらないで生きてしまった世界線と、多分苦労は多いけどやってみた世界線で、自分が精神的に味わうものも全然違う。人格だったり体験になって、現れてくるのではないかと思いますよね」
著名な音楽プロデューサーがゼロから始めたスタートアップの旅は、人助けだけではなく、明らかに彼自身の人生も豊かなものにしているようだ。
「事業を始めて何年経っても、すべてが盤石なわけではなく、苦労はいつでもある。でも、やらなかった世界線よりは絶対今の方がいろんな素敵な方にもお会いできて、新しいことを始めたことでしか会えなかった人たちがたくさんいると感じています」
・・・
後編へ続く: 「こどもごちめし」の構築とペイフォワードエコノミーの創造」

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記事:前田利継 | JStories
編集:北松克朗 | JStories
トップ写真:Gigi 提供
この記事に関するお問い合わせは、jstories@pacificbridge.jp にお寄せください。

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