J-STORIES ー「泣く赤ちゃんに癇癪」、「泣く赤ちゃんに激怒」、「泣く赤ちゃんを連れた母親に退去勧告」といった見出しのニュースは定期的に話題になっている。今年11月には、電車内で泣く乳児に激怒する老人の動画がX(旧ツイッター)上で話題になり、「同じような経験をした」という両親の投稿が相次いだ。8年連続で過去最低の出生率を記録し、少子化が止まらない日本では、子育てへの社会の不寛容が若年層の育児に対するネガティブな影響を与えている懸念も指摘されている。
こうした中、泣いている幼児に対する否定的な意見は一見目立つものの、実際には、多数派ではないということを示すために、2人の女性が立ちが『泣いても良いよ』プロジェクトを立ち上げた。このプロジェクトを立ち上げたのは紫原明子さんと石上有理さん。
プロジェクトは至ってシンプルで、赤ちゃんのイラストに「泣いてもいいよ」と書かれたステッカーやキーホルダーを希望者に配布し、携帯電話やバッグなど目につくところに貼ってもらうというものだ。こうすることで、個人は具体的に声をかけなくても、幼児づれの親に対する賛同や応援の気持ちを伝えることができる。お店は店頭にこのポスターを貼ることで、幼児連れでの入店を歓迎していることを伝えることができる。
「泣いてもいいよというステッカーがあれば、何も言わなくても私たちの思いを伝えられると思ったんです」と語るのは、このプロジェクトの発起人、紫原明子さん。
プロジェクトが始まったのは2016年。当初は30枚のステッカーを希望者に配るだけの限定的なPR活動だったが、インターネット上などで話題をよび、希望者が殺到したためにプロジェクトは拡大を続け、今では民間企業や、地方自治体なども巻き込んだ大規模なプロジェクトに発展した。
「最初は1,000人の賛同者が集まった事で喜んでいましたが、徐々に増えていき、(11月現在)85,000人の賛同者がいます。だから、人々の温かい思いを可視化することに成功したと本当に思っています。」
現在、ホームページ上では、10代から70代まで、様々な世代による1万件もの応援コメントが見ることができる。
「初めての子育てに直面し、不安を抱くのはごく自然なことだと思います。今振り返ると、私も息子が1歳の頃は、周囲の方に迷惑をかけないようにと肩に力が入った状態で子育てをしていたように思います。でも息子が大きくなって思うのは、困ったら周囲に頼ってもいいし、すべてを自分のせいにしすぎなくてもいいと思うんです」と、共同設立者の石上有理さんは話す。石上さんは、子育て中の母親向けのオンラインメディア(ウーマンエキサイト)の運営に関わっていたことから、柴原さんにこのプロジェクトへの協力を依頼された。
一般的に日本では、電車内などの公共の場所で、見知らぬ人に話しかけることを控える傾向があるが、柴原さんは困っている親に目立たない形で支援を提供したいと思う人はたくさんいると話す。「ネット上では赤ちゃんの泣き声に対する厳しい声が注目されますが、赤ちゃんが泣いてもいいと思っている人は実はたくさんいると思います。このプロジェクトが多くの人に支持されていることを示すことで、皆さんの暖かい気持ちの可視化を少しは実現できたと思います」(柴原さん)
また、子育て世代が、たとえ一度であっても、怒鳴られたり、冷たい目で見られたりすることは、彼らに深い傷を残し、「赤ちゃんが泣くことに対して社会全体が厳しく冷たいものだと親に感じさせてしまう」ことからも、キャンペーンを通じて、実際はそうではないことを伝える意義があると柴原さんは話した。
実際に、紫原さん自身も子育て中に、飲食店内で隣のテーブルに座っていた老人から「うるさいから出て行け」と苦情を言われたことがあるという。「そんなとき、自分は親として失格なのではないか、子どもは社会のお荷物なのではないか、社会からの支援を受けられないことに落胆しました。いろいろな思いがこみ上げてきて、涙が出てしまいました」。
日本でポジティブな声が親に届くことが少ないのは、思ったことを口にしないという「サイレント・マジョリティ」の文化にも原因がある。男性が知らない女性に話しかけることへの躊躇を示す人も多い。厚生労働省は2006年に妊産婦向けに「マタニティマーク」を作成し、外出時に装着することで周囲の人が気遣いを示しやすくする仕組みが作られている。
また、日本では海外の先進国で普及しているベビーシッターの習慣が一般化されておらず、親が子供を置いて外出することが難しいこともあって、幼児との外出が他国に比べ多くなる傾向がみられる。
そもそも、柴原さんがこのプロジェクトを考案したきっかけは、ある日、カフェで泣いている幼児を連れた母親に出会ったことだった。幼児をあやしつつ、同時に周囲を気遣う母親を見て、「私は全然気にしていません」と言いたかったが、 その場では何も言えなかったという。「そのお母さんは一生懸命赤ちゃんをあやすのに必死で、私がじっと見ていたら、不快な思いをさせてしまうかもしれない...... と心配になったのです」(柴原さん)
その代わりに、柴原さんはすぐに石上さんに連絡し、そのような母親を応援するステッカーを作りたいと協力を呼びかけた。
各地域の人々にメッセージが伝わりやすくする為、「泣いていいんだよ」は、現在、各地の方言で書かれた18のバリエーションがある。また、ステッカーだけでなく、キーホルダー、缶バッジ、バッグ、水筒など様々なグッズも作られた。
もちろん、柴原さんはこの成功だけで満足しているわけではない。
「赤ちゃんが泣くのが当たり前という考え方が浸透すれば、このステッカーは必要なくなるので、それまでこのプロジェクトを続けるべき」だと柴原さんは語る。
多くの自治体とのコラボレーションに成功した石上さんは、「子育てしやすい環境づくりのお手伝いができればと思っているので、もっと民間企業とのコラボレーションが増えても面白いと思います」と、民間企業とのコラボレーションにも期待を寄せている。
2人は海外展開も視野に入れている。第一歩として、外国人居住者の多い神奈川県で「泣いてもいいよ!」ステッカーが英語で作られ、その第一歩を踏み出した。
また外国メディアにも取り上げられたことで、世界中の人々からネット上で好意的なメッセージが寄せられており、このような試みは「世界中の人も喜んでくれる」ことだと実感したという。国によって事情は違っても、趣旨に賛同してくれる人がたくさんいることがわかり、このプロジェクトを海外にも広げたいと思うようになったという。 「海外の子育て支援にも協力できるのであれば、ぜひ広げていきたい。このプロジェクトが日本だけでなく、海外にも広がっていったら嬉しいですね」。石上さんはJ-STORIESにそう語った。
記事:大河原有紗
編集:一色崇典
記事撮影:高畑依実 トップ写真:高畑依実
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