JStories ー AIやビッグデータをめぐる世界の開発競争が激化し、各国企業はその生命線とも言える優秀なITエンジニアの確保にしのぎを削っている。こうした中、高いスキルを持つ人材の輩出国として注目されるのがインドだ。グーグルCEOのサンダー・ピチャイ氏やマイクロソフトCEOのサティア・ナデラ氏など、世界的企業のトップを誕生させたインド工科大学(Indian Institutes of Technology、IIT)は、最も優秀なエンジニアの供給源として高く評され、卒業生の平均初任給が2000万円を超えたという報道もある。
潜在力のある優秀なITエンジニアの確保が遅れている日本企業にとって、インドからの高度な人材の呼び込みは極めて重要な戦略課題と言える。しかし、言語の壁や文化の違いに加えて、高額な給与をオファーする欧米企業に対抗していくのは、日本にとって簡単なことではない。
そんな中、こうしたインドのITエンジニアたちに、高額なオファーではなく、日本で働くことの価値を的確に伝え、日本企業に高度な人材を送り込むことに成功している企業がある。テクノロジー分野における高度インド人材に特化した採用プラットフォーム「Talendy」事業を展開するHRテックベンチャー企業、Tech Japanである。

ディープテック分野、日本には高い競争力がある
「ダイバーシティの力でデジタル化を加速させ豊かな社会をつくる」をミッションに掲げる同社のCPO(チーフプロダクトオフィサー)、デブ・クマール・モンダル(Deb Kumar Mondal)さんは、JStoriesとのインタビューで、日本企業が直面している厳しさを認める一方、インドのITエンジニアが興味を抱く大きな強みが日本にはあると強調した。
「金銭面で優位なのは米国の企業。欧米ではすでに活躍しているインド人も多く、文化的にも馴染みやすい。私の実感としては、米国が最も人気で、次に英国、ドバイ、シンガポール。日本は5番目くらい」と、モンダルさんは日本が一般的な雇用環境だけで欧米やアジアのライバルに勝つことは難しいと話す。
では、同社が注目している日本の魅力とは何か。それは、日本企業に根付いている「優れた技術力」だ。モンダルさんによれば、インドのITエンジニアたちは勤勉意欲が高く、さらにスキルを高めて成長したいという情熱も非常に強い。彼らの多くは、すでに市場が飽和しているオンライン金融サービスなどの分野に携わるよりも、基礎技術からユニークなものを作り出すことに興味を持っており、そのようなエンジニアたちにとって日本には「宝の山」が眠っているというのである。
「日本は高度な先端技術を活用するディープテック分野で、大きな競争力を持っています。日本企業が既に特許を取得した技術や研究している技術の中には、将来、世の中を揺るがすようなイノベーションにつながるユニークな技術が眠っており、そうした技術は今後もさらに日本で生まれる可能性があります」とモンダルさんは言う。「IITで頑張ってきた人たちにとって、何よりのモチベーションは“もっと成長したい”という思いです。そういう人たちにとって、日本の技術は大学で研究してきた力を活かせる職場として大きな魅力になります。」

モンダルさん自身もIITの卒業生であり、大学では機械工学を専攻していた。最初はインド国内や米国、ドイツでの就職を考えていたが、ダイキン工業のインターンシップで来日したことをきっかけに、日本企業の優れた技術力に強く魅了され、日本で仕事をすることを決断したと話す。
「私がIITムンバイ校の大学生だった2016年頃は、日本企業と言ってもトヨタ、ホンダ以外にほとんど知られていませんでした。そんな時、大学まで説明にやってきたダイキン工業の採用担当者の話を聞いたんです。それに興味を感じ、日本にインターンとして2ヶ月ぐらい滞在したんです。仕事をしてみたら面白いなと感じました。そして、(日本で仕事をしたら)どんな将来が待っているのか、日本とインドがこの先どのように連携していけるのか見てみたいなと思って、ダイキン工業に入社しました」
日本での職業体験を通じて、日本企業の魅力に気づいたと言うモンダルさんだが、日本について何も知らなかった両親や周囲は就職については大反対だったという。
コミュニケーションを円滑にするには「プロトコル」が重要
日本企業にはインドの学生たちが求めている大きな魅力がある。そう考えたモンダルさんは、2019年にTech Japanに加入し、同社のCEOである西山直隆さんとともに、インドの学生たちが日本企業の開発技術やインド人社員の待遇、ポジションなどの情報を簡単に知ることができる情報プラットフォームを作り上げた。2023年にはCPOに就任し、事業の責任者を務めている。
「日本とインドの連携を深めるために解決すべき課題は、まず情報不足、次が(雇用や生活などの)環境です。日本企業とインド人エンジニアの間には、お互いをまだよく知らないという問題があり、インド人エンジニアがその企業でどういう仕事ができるのかという情報も不足していました。私はその不足を解消する仕事をしています」

同社がインド人学生向けに運営する採用支援のサービスは急速に普及しており、現在、インドの主要な18の教育機関(うちIIT9校)と連携、就職を準備している学生の3人に1人、インド国内におけるトップ1%のエンジニアが1万人以上、登録している。
同社のサービスに登録する際、仕事の内容や待遇などのミスマッチを防ぐ為、まず希望する企業の価値観や仕事環境を事前に体験するインターンシップに参加することが奨励されている。IITの2025年度新卒者およそ1.6万人のうち、同社のプラットフォームを通じて日本企業へのサマーインターンシップに応募した人数は1社あたり平均で約350名(のべ9,473名)になるという。
「2ヶ月間のインターンシップを経れば、学生は自分の将来が見えると思う。企業側もこの学生が入れば助かるかどうかが分かり、お互いに成長の道筋が見える。そうであれば、双方にとって有益な良い形の入社になると思います。」
ミスマッチを防ぐ対策は、インターンシップの実施に留まらない。同社では採用企業側にも、具体的な人材が入ってくる前の段階から綿密な支援体制を敷いている。
「まずは営業担当チームが企業と一緒に課題を整理し、なぜIITの学生を採用したいのかを掘り下げます。その上で、大きなプロジェクトを分け、インドの学生に合いそうな小さなプロジェクトを設定し、インターンで学生が参加している間には、サポート担当チームが2か月間しっかり寄り添って、企業と学生の間でコミュニケーションにズレがないかを見ています。」
では、インド人エンジニアと日本企業の間に、具体的にはどのようなミスマッチが起こりやすいのか。すぐに思い付くのは、日本企業に英語を話す人材が少ないなどという言語をめぐる問題だが、モンダルさんは、それよりも「コミュニケーションのプロトコル(ルールや手順)の問題」の方がより重要だと話す。
「日本人のコミュニケーションにおいては、表面的なやり取りの裏に明言されない意図が存在することが多くあります」とモンダルさんは言う。
「例えば、日本人が業務に『問題がありました』と伝える際には、『何が原因だったのかを一緒に考えたい。情報共有してほしい』というような意味を含んでいます。しかし、インドでは、その表現には原因究明よりもまず問題解決を優先すべきだというニュアンスがあり、『情報共有はともかく今すぐ直して欲しい』という意味で伝わってしまいます。だから、誰かがそのプロトコル((ルールや手順)を整えないと、お互いのコミュニケーションがずれてしまうのです」
同社では、企業が、あらかじめゴールを共有し、コミュニケーションの内容、方法、頻度をルールとして決めておくこと、企業のビジョン・ミッション・バリューを共有しておくことでインド人従業員とのコミュニケーションが円滑に進む仕組みを築き上げてきた。サポートチームが翻訳のヘルプに入ることもあるが、上記の決め事さえしっかりしていれば、翻訳ソフトを使うだけでも十分業務は遂行できるという。

優秀なインド人エンジニアが米国から日本にシフトする現象も
こうした中、トランプ政権の誕生やAI市場の競争過熱と市場の飽和などの原因で、これまで米国での就職や自国での起業を考えていた優秀なインド人エンジニアが、安定とやり甲斐を求めて日本企業にシフトする現象が起きつつある。インド人学生を対象に民間企業が行なった2025年2月のアンケートで8割以上の学生が日本で働きたいと回答したという。
「米国企業等がAI分野で採用をあまりしていないということもあり、日本企業への就職を考える学生は増えていると思います。ただ、これは本当に一時的というか、5年、10年先もずっとこんな状況かというとそうではないと思います」
モンダルさんは、日本企業が採用しやすいタイミングは「今がチャンス」と捉えているが、「日本から本当に魅力的なスタートアップが出てこない限り、IITの人材を継続的に惹きつけるのは難しい」とも警鐘を鳴らす。
「日本政府や企業関係者は、アニメや食事などのソフトパワーに魅力があれば、日本で長く働いてくれるという仮説を持っているように感じますが、それは間違いだと思います。実際に働く企業の技術に対する情熱がなければ、中・長期的には能力を発揮できないでしょう。」

モンダルさんは、インドと米国の間で成功した連携事例を詳しく知るため、昨年米国サンフランシスコを訪れた。そこで発見したのは「何もない状況から自ら道を切り開く、強い情熱を持った1割のエリートが、その国に残って環境整備を行うことで、次の優秀な人材が加わりやすくなる。その結果、車輪が自走し始め、素晴らしいサイクルが生まれる」ということだった。
「企業の中でどんどん上を目指していき、もしその環境がなければ自分で作ってしまうくらい」のエネルギーを持った彼らは、生活環境については「あればいい」くらいに考えている。「ご飯もなんとかなるし、例え十分な住環境が整っていなかったとしても、技術さえ作れればいいという感覚を持っている」とモンダルさんは説明する。
米国ではすでにそのサイクルが実現しており、「企業の中で優秀ならどんどん地位が上がり、CEOにもなれるというロールモデルがある」と話し、これを日本でも再現したいと強調する。例えば、小規模なスタートアップで働いていた場合でも、技術開発を続ければ、日本市場だけでなく海外市場で勝負できる、そういった道筋を事前に見せられれば、優秀な人材が日本に残る可能性が高くなるというのである。
「だからまず、その1割の人たちのために環境をつくることが大事だと思っています。日本のスタートアップも、グローバル人材を受け入れる体制やビジョンを持って、日本だけでなく世界に挑む姿勢、『このビジョンならどこでも負けない』というメッセージを打ち出していくべきだと思います。そうすれば、IITの卒業生だけでなく、米国の技術者たちも来てくれると思います」
記事:藤川華子
編集:北松克朗、一色崇典
トップ写真:Anita De Michele | JStories
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