J-STORIES ー 紛争などにより核兵器を巡る世界の状況が厳しさを増し、映画「オッペンハイマー」が世界的に注目されたことなどを受け、核兵器の関心が世界中で高まっている。広島市にある平和記念資料館(原爆資料館)への2023年度の訪問客数が過去最高を記録し、外国人の割合も過去最高となる3割以上を占めた。
訪問者に加えて増加傾向にあるのが、平和記念公園内の至る所に飾られた「平和のシンボル」折り鶴だ。以前から年間国内外から1000万羽、重さにして10トン以上の折り鶴が広島市に送られていたが、2023年度は関心の高まりを受けて、海外からの送付量が過去最高を記録している。
こうした海外から大量に送られてくる折り鶴の受け入れ先を公園を管理する広島市とともに長年担ってきたのが、地元で学ぶ広島インターナショナルスクールの学生たちだ。
世界各国から送られてくる折り鶴を生徒たちが平和公園に代理で運ぶ
同学校の課外活動「千羽鶴クラブ(The Thousand Crane Club)」では、多様なバックグラウンドを持つ生徒たちが世界各国から送られてくる折り鶴を平和記念公園に運び、送り主に代わって奉げる活動を約40年間続けている。クラブではこれまでに欧米を中心に14カ国37都市の学校から折り鶴を受け入れてきた。
送られてくる折り鶴の多くは、広島市出身の被爆者で平和公園内にある「原爆の子の像」のモデルになったことでも知られる、佐々木禎子さんの体験を平和学習等で知った海外の同世代の生徒たちが平和を願って折られたものだ。2歳で被爆し、10年後に白血病を発症し亡くなった佐々木貞子さんは「生きたい」という願いを込めて、最後まで折り鶴を折り続けた。その体験は絵本となって多くの言語に翻訳され、今も世界中の平和教育で用いられている。
広島の人が送り主に感謝の気持ちを伝えることが活動意義
千羽鶴クラブでは生徒たちが受け取った折り鶴を平和記念公園に直接持っていき代理人として捧げるだけではなく、その過程を写真や動画で記録し、お礼のコメントも含めインスタグラム(@thethousandcraneclub)に投稿している。また、送られてきた鶴の状態が悪ければ、必要に応じて折り直したり、糸でつなげたりと適切な処理を行う。
千羽鶴クラブの活動は送り主に感謝の気持ちを込めて報告をすることで、一方的になりがちな送り手の好意を双方向のコミュニケーションに変えていくことを目指している。クラブの顧問で同校教員を勤める柳洋子さんは「千羽鶴クラブの活動意義」は、海外から心を込めて折ってくれた送り手に対して、「広島の人がきちんと受け取ったということを伝えること」だと語る。
実際に千羽鶴クラブに折り鶴を送ったSt. Andrews Lutheran College (オーストラリアの小中学校)はJ-STOREISに対し、Crane Clubに連絡を取った理由として同じ国際バカロレア校であることや英語が通じるという理由の他に、写真を撮って報告をくれることや糸で折り鶴を丁寧に繋げてくれるなどきめ細かい配慮があるからだと答えている。
日本、韓国、ウクライナなど10カ国にルーツを持つ生徒たちが活動
広島インターナショナルスクールによると千羽鶴クラブの活動の始まりは1985年に遡る。アメリカとカナダの学校から、平和教育の一環として作った折り鶴が送られてきたことがきっかけだった。当初は折り鶴が届いた時に有志で集まった生徒たちが紐で繋いで平和記念公園に代わりに捧げる一時的な活動だったが、その後生徒たちによって自主的に通年で平和活動を行うクラブ活動に発展した。現在は中学2年生から高校3年生の日本、韓国、ウクライナなど10カ国にルーツを持つ約40人の生徒たちが活動している。
クラブに所属する生徒たちは千羽鶴クラブの特徴はメンバーの国際性だと考えている。5年間部活動に参加する平田栞里さん(高校2年生)は「生徒たちが世界中から集まってきた点も散らばっていく点もユニークではないか」と話す。さまざまなバックグラウンドを持つ生徒が集まる広島インターナショナルスクールでは意見交換の場で「色々な人の意見を聞ける貴重な環境」と語る。
岡野純大さん(高校3年生)は入部の理由について、絵本の禎子さんと同じ幟町小学校に通っていて、小さい頃から直接被爆者の方の話を聞く機会があるなど平和について考えたり、行動を起こす機会が多くあったため、「広島にいる以上平和活動に関わるのは当たり前だった」と話す。
特定の国や個人を決して批判しない
インターナショナルスクールという様々な国・地域にルーツがある関係者がいるコミュニティーで活動する生徒たちを指導する上で、柳さんが最も気をつけていることは特定の国や個人を決して批判しないということだ。例えば、軍事侵攻を受けるウクライナへの平和のメッセージをSNSで発信する時や、平和記念公園のツアーガイドで原爆投下について説明をする際に、特定の国を批判するような言及は避けるように指導している。これは、柳さん自身が幼少期にアメリカに住んでいたことだけを理由に、平和教育の授業で広島の小学校の同級生から、原爆投下について責められた辛い経験が背景にあるという。「広島との平和を通した国際交流に携わる思い出が、誰かに責められることで嫌な思い出になってほしくない」と柳さんは語る。
折り紙で鶴を折って広島に送るということにどのような意味があるのか、これについて現副部長の平石大志さん(高校3年生)は「折り鶴を折るという行動は様々な考えやバックグラウンドを持つ人たちを一つにできる」と折り鶴を一緒に折ることで得られる一体感の意義を強調する。「大事なのは鶴の形よりも、鶴を折って世界の平和について意識することや折ろうという気持ち」であり、多少折り方が間違っていてもいいので、より多くの学校や個人が折り鶴の活動に参加することを願うと話す。
送り手の中に将来核のボタンを握る立場になる人もいるかもしれない
現部長の茂ハードアリナさん(高校3年生)は「グループで折り鶴を折りながら、貞子さんの話をしたり、平和についてのディスカッションをしてほしい」と折り鶴を折る作業を通じたコミュニケーションの可能性について指摘する。
また、柳さんは、折り鶴の送り手の中には将来政治家になって核のボタンを握る立場になる人もいるかもしれない、としてクラブの活動が持ちうる可能性にも期待する。「千羽鶴クラブとの折り鶴を通した国際交流によって、将来核のボタンを握る立場になる人物が、核兵器使用を思いとどまる。そんなきっかけになってほしい」(柳さん)。
記事:平川恵鈴 編集:一色崇典
トップ写真:千羽鶴クラブ 提供
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